エラそうなこと言った翌日にやっぱりブログ書いてる件について

どうもタロウです。

 

昨日「俺ブログやめっから!まじやめる!もう書かねーし!!」っていうかまってちゃんな記事書いて申し訳ないんですが、

公開20時間後にすでにクソ悩んでます。

 

っていうのも、昨日の記事にすぐこんなコメントがきまして。

たろさんにはまず、ありがとうと伝えたいです。
僕は、1年前に辞めた会社でいろいろあってほとんど鬱状態の時に
たろさんのブログに出会いました。

もぉ、こんな生活なら生きる意味ないな。と負のスパラルに陥って
あと一歩のところで命を絶とうとした時、自分でもこんなことしている自分がバカバカしくなって
次の日から仕事すっぽかして5時には帰るようにしたら
なんだかんだでその時の仕事は無事に終わってその会社を辞めました。

たろさんのブログがなかったら僕は今笑っていられなかったかもしれません。

今は22歳で実家暮らしでお金もないで相当アホな奴です。
けど価値のない自分にもいつかきっと自分にしかない価値は出てくるので
僕はそれまで諦めないと決めました。それを教えてくれたのがたろさんでした。

これからも応援しています。

ゆうき

 

 

こんなこと思って喜んでくれている人がいるならやっぱり定期的に書いた方がええんかなと

ほんま、どうなんやろと

ワシ、悩んでるんやで、かんにんやで、ほんま

なんでやねん、ほんま阪神タイガース。。。

 

僕のわかる関西弁っぽい言葉を限界まで使ってみました。

 

 

話戻りますが、

実は僕の周りって鬱な人・鬱だった人多くて、

そんな中、こんな不安定な生き方をしつつも、鬱になっていない僕の強靭なアイアンハートをみんなに分けてあげたいって思ってます。

 

 

 

 

とはいえ、今は僕もブログを続けた方がいいか悩んでいるので、

今日は僕が思う「悩み」について語っていこうと思います。

 

そもそも

「悩みって何?」

という根本的なことを考えてみたいのですが、

 

だいたいの人ってまあ人生に悩むわけじゃないですか?

 

 

悩みというのは思考の余地・もしくは選択の余地がないところには起こりません。

悩みっていうのは常に2つ以上の選択肢の中で起こります。

  • 学校行くか、休むか、
  • 仕事するか、ニートするか
  • 寝るか、ゲームするか
  • 恋と仕事
  • 遊ぶか勉強するか
  • 結婚をするかしないか

もちろん2つ以上の場合もあるけど、今回はわかりやすく全部2択だとして。

 

で、悩みっていうと大げさに見えるんですが、そもそも生きるっていうことが選択の連続を強いられてるわけですよ。

「今日何きてくか」とか、「ご飯何食うか」とか

 

じゃあ悩みと普通の選択との違いは何か、

これは【後悔の恐怖】が原因なんですね。

『こっちじゃなくてあっちを選んでおけばよかった』
『やっぱりやればよかった』『やらなければよかった』

もし~~なんて意味はないのに、選んだ結果に満足できずに後悔をしてしまう。後悔をしそうで動けない。

 

でも、これは当たり前のことです。

例えば、買ってきた宝くじを新聞で確認してみたら一等の6億円が当たったとします。

その時あなたの心情は『やった~~~!大金持ちだ!これで一生遊んで暮らせるふぅ~~!!』って半ば半狂乱になるはず。

 

あれを買おう。どこに旅行に行こう。引越ししよう。といろんな妄想をふくらませます。

 

しかし、宝くじの紙をよーく見てみると、番号が外れていて300円しかあたっていないことに気づきました。その時あなたは『ふっざけんな!300円ぽっちなんていらんわ!!』って思うはずです。

おかしくいですよね。

 

だって3000円はあたっているんだから、確実に増えているんです。

それなのに感情的には599,997,000円を損した気分になっている。

 

つまり人は手に入る物より、失う物に感情の変化が強いようにできているんです。

これを心理学的にはプロスペクト理論といいます。

 

 

さて、ここで二択の話に戻ります。なぜ二択で悩むかと言うとどちらを選んでもあなたにとって同じぐらいの価値が存在しているわけです。

 

だって「100円と1万円どっち欲しい?」って聞かれたら100円選ばないでしょ?

だから価値が対等じゃない限り悩みは起こらない。

 

でもおかしなことに、選ばなかった物。つまり失った物の価値が高くなってしまう。その結果、後悔するわけです。
『やっぱりあっちを選んでおけばよかった!』って

じゃあどうするか?

失ったものに意識を送らないことです。

自分が選んだ物、手に入れた物これだけについて考えて、自分の選択は正しかったんだと肯定する。

 

『どちらを選んでも一緒だったんだから、自分で選んだ物の方が自分に必要だったんだ。』と

人生で後悔ほど虚しいものはありません。だってどんなに考えても意味がないんだから。考えたって結果は変わらないんだから。

だったら自信を持って自分の道を選んで進む。

 

 

 

 

 

ちなみに僕がこのことを深く考えるようになったのは、

21歳の時。

 

高校の同級生が死んだ時でした。

 

 

彼とは大学に入ってからはなんの交流もなかったのですが、高校からの帰り道が同じ方向だったので何回か家に行ったり、来たりしていました。

だから死んだと聞いて葬式に出席した時には、少なからず思うところがありました。

 

そこで彼の大学の話を聞くと、

受験を頑張って早稲田大学に進学していたのですが、「音楽をしたいから」と早稲田を中退していたそうです。

 

僕はこれを聞いた時「バカだなぁ。卒業すればよかったのに、1〜2年をなぜ生き急いだんだろう。」と思いました。

今思うと死んだ相手にこんなことを思うのは不謹慎なのですが、僕自身が大学受験に失敗しているから【早稲田大学】という物に強い憧れを抱いていたんだと思います。

 

で、この話を仲のよい叔父に「大学ぐらい卒業すればいいのにねぇ〜」と言ったのですが、叔父は

 

「もし、彼の人生がそこで終わる定めだったとしたら

 『好きなことをやる』と選択した、

 その生き方は、彼にとって素晴らしい人生だったかもしれないよね。」 

 

この時僕は「アンタ、、、天才かよ!!」って思いました。

 

要するに彼は

【音楽に専念するか】 【大学を卒業するか】

 

という選択肢を持って「音楽」を選択したわけですけど、これが正しいかどうかなんてわからないわけで、

音楽を選択しても大学を選択しても、その1年後に命が終わっていたとしたらその選択に後から後悔するなんて意味がないわけで、

むしろやりたかった事をギリギリまでやれた人生の方が幸せですよね。

 

もしあっちを選らんどけば〜

っていう思ってもその選択肢を実際に体験することはできないわけし、

「最悪だ、、、」って思う事が起こったとしても、

もしかしたら本当に最悪だったのはもう一つの選択肢かもしれないわけで

 

例えば、電車で行くか車で行くかって行っても

電車止まるかもしれないけど、事故って死ぬかもしれないし

 

そんなの誰にもわかんないわけで

 

このゆうきくんだって、会社をやめたけどそっちの方が正解かもしれないし、もしかしたら会社を続けててたら役員になるかもしれないし、

まあそんなことわからないわけですよ。

 

だから悩まない為に

「常にやりたい事を選ぶ」だけで今より楽しく生きれるんじゃないかなと思います。

 

失ったもの

 

今悩んでる人は

選ばなかった道をくよくよせずに

今ある物を数えろと

 

 

細けえことで悩んでんじゃねぇと

お前は確率論計算する学者じゃねーだろと

6 件のコメント

  • 僕も彼(しゅう)に救われた一人です。
    今も彼の友人から仕事をもらっているので進行形かもしれませんがw
    今はしがない個人事業主ですが、バカでも大きな夢を持って自分の道を切り開けることを証明したいと思います。
    ウェブサービスつくりてええええええええええええ!!!!

      • ブログとアフィリエイトのフュージョンって
        面白いと思うんですが、どぉなんですかね。

        ドラゴンボールとか遊戯王とかでも
        融合したらカッコよくなる感じで。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    タロウ

    1990年3月9日神戸生まれ。 webが好きです、でもラーメンはもっと好きです。SEOには自信があります。最近太ってきたせいで着る服がありませんが、太ってきたのであったかいです。 Twitter(@syuty)・Facebookから友達申請よろ!