こんにちは、27歳児童貞です。
先日、「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の連載終了が発表されました。
非常に驚かれた方も多いのではないでしょうか?
かくいう僕も驚きのあまり言葉を失ってしまいました。
なんとなくこち亀は終わらないものだと思ってたんですよね。
それこそ秋本先生が辞めても、アトリエびーだまのスタッフの手で描き続けていくんだろうなくらいに考えてました。
週刊少年ジャンプが創刊から48年なので、ちょうど連載40周年の「こち亀」はジャンプと一緒に歩んできたと言っても過言ではないです。
本当に偉大な作品だと思います。
そこで今回は、こち亀にまつわるあまり知られていないような豆知識をまとめてみました。
こち亀誕生秘話
1976年に誕生した「こち亀」ですが、その誕生にはどのような経緯があったのでしょうか?
以外と知られていない「こち亀」誕生の秘密を調べてみました。
きっかけは母親の死
漫画家になる前の秋本先生は、かの有名なアニメ制作会社タツノコプロで「科学忍者隊ガッチャマン」等の動画を担当するアニメーターでした。
タツノコプロは2年間で退職してしまうのですが、これは病気で入院していた母親の看病がなかなか出来なかったからだそうです。
父親を9歳の頃に亡くし、母親と2人で生きてきた秋本先生はしばらく母親の看病をしながら漫画を投稿していました。
しかし、その最愛の母親を亡くしたことにより、生きていくために本格的にプロの漫画家を目指すことになります。
そこで誕生したのが、「こち亀」でした。
たった1人の家族である母親を亡くし失意のどん底に落ちながらも、少しでも明るい気分になれるようにと生み出されたのが、あの破天荒でどこまでも底抜けに明るいお巡りさん「両津勘吉」、通称「両さん」なのです。
長いタイトルの由来
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」ってとても長いタイトルですよね。
実はこの長さには理由があります。
もともと秋本先生は「こち亀」で新人賞を受賞しデビューしました。
この新人賞の投稿時に”あること”を狙ってこの長いタイトルが付けられたのです。
それは、
長いタイトルで編集者の目に付きやすくするため
です。
意外に単純な理由ですが、漫画家の登竜門である新人賞はとても狭き門です。
少しでもプロに近づけるのであればと考えた苦肉の策だったのかもしれません。
とてつもない執念を感じますね。
ちなみにこの時のペンネームも、
「岩森章太郎改め山止たつひこ」
と反則的な長さでした。
「岩森章太郎改め〜」の部分はもはや名前じゃないですよね(笑)。
秋本治先生のポリシー
漫画家の先生方には、それぞれポリシーを持っている方がたくさんいます。
ワンピースの尾田先生は、
人物(モブも含めて)・動物・雲や海、煙などの流動的なものはアシスタントを使わず全て自分で描く
シャーマンキングの武井先生は、
作品タイトルには濁音と”ン”を入れる(ガンダムの生みの親、富野由悠季さんが説いたヒット作の法則)
など様々です。
もちろん秋本先生にも、
- 締め切りは守る
- 徹夜はしない
などのポリシーがあります。
この他のポリシーも紹介したいと思います。
徹底した取材と情報収集
こち亀といえば、時事ネタや両さんの地元・浅草ネタ、さらには車、軍事関係まで幅広いネタを綿密な描写で作品内に取り込んだ作風が特徴です。
これらのネタを集めるために、秋本先生は毎日新聞に目を通して気になった記事を切り抜き、スクラップブックにしています。
その中から面白そうな記事をピックアップして話作りに生かしているそうです。
取材が必要であれば実際に足を運び、自分自身でしっかり体験してネタを熟成させています。
こち亀には浅草にある遊園地「花やしき」がよく出てくるのですが、花やしきがリニューアル等すればネタ探しに足を運びます。
2009年に放送された「情熱大陸」でも花やしきに取材された姿が放映されました。
秋本先生自身は絶叫マシンの類が苦手だそうですが、自分で体験しないと描けないことがあるからと怖がりながらもしっかり乗っていらっしゃいました。
また、仕事場には実際の警官の制服もあり、実際に着用した時にベルトがどの程度隠れるか、シワの出来方なども確かめています。
警官が使う拳銃のモデルガンなども所持しているそうです
両さんは眉毛から描く
秋本先生は両さんを描くとき、
必ず眉毛から描く
そうです。
理由はちょうど顔の中心なので、眉毛を描くと自然に目や鼻の位置が決まりやすくなるからだとか。
漫画家の中ではキャラクターの目や輪郭から描き始めることが多いのですが、眉毛からというのは両さんならではですね。
アイデアが詰まった時は?
昔、少年ジャンプの新人賞に投稿したり持ち込みをすると、
©尾田栄一郎/集英社©岸本斉史/集英社©久保帯人/集英社©空知英秋/集英社©稲垣理一郎・村田雄介/集英社
このような原画見本帳という冊子がもらえました。
この中には、ジャンプで連載されている先生方から漫画家志望者へアドバイスやメッセージも掲載されています。
この中で秋本先生が「アイデアがつまった時のリフレッシュ方法は?」という質問に対して、
リフレッシュというのは言い訳で、困難からの逃避と思ってるので逃げずにアイデアが出るまでとにかく考える
と答えています。
他の先生方が一旦漫画から離れると答えている中、不退転の決意を滲ませるカッコイイ姿勢だと感じました。
余談ですが、「普通の漫画には使わないけど、こんな道具を使ってる!という自分だけの秘密道具があれば教えてください」という質問に対しては、
冬は暖房でインクが蒸発し濃くなるので、よく水で薄めますが、少しリポビタンDを入れると、インクに元気が出る感じがします(ほんの一滴)
と、ギャグなのかマジなのかわからない回答をしていました。
秋本・カトリーヌ・麗子の名前の秘密
©秋本治/集英社
秋本・カトリーヌ・麗子の初登場はちょうど連載100話の時なのですが、このキャラについて一つ気になる点はないでしょうか?
それは先生と同じ”秋本”性であること。
これには何か秘密があるのではないか、と考えた方も多いと思います。
実はこれには変わった理由があるのです。
秋本先生は連載当初、当時少年チャンピオンで連載されていた「がきデカ」の山上(やまがみ)たつひこ先生をもじって、「山止(やまどめ)たつひこ」というペンネームを使用していました。
しかし山上先生からクレームを受けて本名である「秋本治」に変更を余儀なくされたのでした。
その変更を受けて、新しい名前をどうにかして覚えてもらおうと誕生したのが、
秋本・カトリーヌ・麗子
なのです。
最終回が表紙巻頭カラー
9月3日の記者会見で少年ジャンプ編集長の瓶子さんから、9月17日発売の少年ジャンプで表紙と巻頭カラーで最終回を迎えることが発表されました。
40年間少年ジャンプを支え続けたこち亀にふさわしい終わり方です。
実は少年ジャンプで最終回を巻頭カラーで迎えられるというのは、とてもすごいことなのはご存知でしょうか?
少年ジャンプの歴史上で巻頭カラーで最終回を迎えることが出来たのは、
- リングにかけろ
- ドラゴンボール
- スラムダンク
- ナルト(最終回1話前が巻頭カラー、実質最終回がセンターオールカラーの2話同時掲載)
- こち亀
の5作品しかありません。
北斗の拳やキン肉マン、キャプテン翼、幽☆遊☆白書などの1巻あたり100万部以上の超がつくほどの大人気漫画でもセンターカラーが関の山でした。
さらに表紙ともなると実はスラムダンクだけになります。
スラムダンク最終回が掲載されたジャンプの表紙
©I.T.Planning.Inc.©真倉翔・岡野剛©木多康昭
ドラゴンボールでも成し遂げられなかった偉業を「こち亀」は成し遂げようとしているのです。
このことからも、こち亀が少年ジャンプにとっていかに偉大な存在であったかがわかりますね。
最後に
いつもジャンプを開けば必ず「こち亀」がありました。
(ワンピ◯スはたまに、ハンタ〇ハンターはほとんどありません)
ある種の安心感がそこにはあったような気がします。
それがなくなってしまうのはもの凄く悲しいですが、秋本先生はまた機会があれば両さんを描きたい気持ちもあるようですし(東京オリンピックの時にはあの男も出したいそうです)、新作への意欲もあるそうです。
僕も期待して待ちたいと思います。
最後に、
秋本先生、40年間ありがとうございました。